藤波辰巳と剛竜馬の違い


私、アキはかつて、大のプロレスフリークでした。

10代半ばの殆どをプロレスに費やし、20代を過ぎても変わる事はありませんでしたが、敬愛する前田日明の引退を機に一気に熱が冷めてしまい、やがてプロレスそのものから遠ざかってしまいました。

あれから10数年・・・
今のマット事情にすっかり疎くなりました。

かつては自他共に認める「歩くプロレス名鑑」だった私ですが、今では団体の数なんて全然把握してませんし、レスラーの顔も名前も殆ど区別がつきません。
そんな私ですが、それでも昭和プロレスの話題には今でも食いつきがいいようです。

高校時代、プロレスのミニコミ誌を作って発行していたことがありました。今では悶絶するほど恥ずかしいヘタレなミニコミ誌ですが、それでも当時はそれなりに買ってくれる人がいたので今ではいい思い出です。
ある時、私のミニコミ誌を買ってくれた年配の男性から言われた事を今でも覚えています。

「プロレスは社会の縮図なんだよ」ってね。

当時は全くその意味が理解できませんでしたが、今は、少しずつ理解できたと思います。そう、社会のいろんなことをプロレスに置き換えてみると結構解りやすく妙に納得できてしまいます。

話が急に変わりますが・・・

最近、湯浅誠氏の「反貧困」を読みました。
その本の中で湯浅氏は「溜め」について書いてます。
「溜め」って何でしょう?
田んぼや畑を耕すときに水不足で困らないようにあらかじめ溜池を作っておいて水不足に備えると言うのが本来の意味だそうです。
これを生活に置き換えてみると?
例えば、会社が倒産して失業したとします。
だけど、偶々大型トラックの免許を持っていたら?だったらトラック運転手という道がありますからそれで収入は確保できます。
その人にとっての「溜め」は大型トラックの免許です。
もうひとつ、失業してもある程度の貯金があれば当座は何とか賄えます。
その間に職探しという方法があります。
この人にとっての「溜め」は貯金です。
こんな風に「溜め」を持っている人は万が一に備えられます。

しかし、この「溜め」を持たない人はどうなるの?

「溜め」を持たない人って怠慢だから?

「溜め」を持たない人は自業自得?

そんな単純なものではないのではないでしょうか?

じゃあどうして「溜め」を持てなかったの?

湯浅氏はとても「溜め」を持てる余力などなかったと強調しています。

プロレスの話題をしていたかと思えば、いきなり「反貧困」の話題とは、何か支離滅裂ですね。
しかし、共通点がなくもありません。
「反貧困」を読み終えた私は思わず「藤波辰巳」と「剛竜馬」という二人のレスラーを連想してしまいました。
「藤波辰巳」と「剛竜馬」の二人がここまで明暗を分けてしまった理由は「溜め」の有無にあるのではないか。
そんな気がしてなりません。

では、ようやくここで本題に入ります。

藤波辰巳・・・・
大分県の農家で生まれ育った彼は生まれつき体が弱く近所のガキ大将にいじめられてはいつも泣いてばかりいたそうです。
しかし、BI砲との出会いが脱いじめられっこのきっかけとなり、特にアントニオ猪木を強く敬愛するようになりました。
やがて猪木と同じ世界に身をおきたいと強く思うようになった藤波は陸上部で体を鍛え憧れのリングに立つ準備を早くから行いました。
更には牛が引いていた耕運機を自分で引いていたというからその入れ込みようが伺えます。
中学卒業後、兄の勤める自動車修理工場で働きながらチャンスをうかがってました。
そしてチャンスはやってきました。
彼の地元に日本プロレスの興行がやってきたのです。
そして彼は同郷の北沢幹之に懇願し、その甲斐あって彼の夢は一歩実現しました。
最初の仕事は敬愛してやまない猪木の付き人からでした。
レスラーとしては小柄で体つきも細身だった藤波はデビューに時間がかかり、小柄というハンデにいつも悩んでいたそうです。

一方、剛竜馬・・・
藤波より3歳年下の彼は中学卒業を待たずに国際プロレスに入団。
神戸で生まれ育った彼の家は裕福には程遠く、家族の為に体ひとつで稼げるプロレスの道を選びました。
彼は元々プロレスが大好きだったわけではありませんでした。
彼にとってのプロレスは家族の為だけだったのです。
彼も藤波と同じくレスラーとしては小柄だったそうです。

年齢体格中学を卒業してマット界入りした点
デビューの時期・・・

藤波も剛もそれほど大差ありません。
そんなよく似た藤波と剛ですが、どこで明暗を分けてしまったのでしょう。

藤波の場合・・・
アントニオ猪木が謀反を働いたとして日本プロレスを追放されてしまいました。
追放された猪木について行ったのは木戸修や山本小鉄ら・・・そして藤波でした。
追放されてもただで転ぶ猪木ではありません。
新日本プロレスを立ち上げ、キングオブスポーツの名の元にレスラー育成に力を入れました。
ジャイアント馬場のように知名度のある外人とのコネクションを持っていなかった猪木は無名で素質のある外人を招集し、育て上げるという「無いものは作ればいい」という発想をフルに活かしたのです。
そして新日本が急成長する背景にはカールゴッチの存在もあり、藤波もカールゴッチに鍛えられたレスラーのひとりでした。
カールゴッチに鍛えられより強化された藤波は新間氏の強い売り出しも手伝い、マジソンスクエアガーデンでスター選手の座を手に入れました。(対戦相手の名前を失念しました)
その後も新日本プロレスのお家騒動やプロレス冬の時代、新日本退社やバッシングなど数々の出来事があるものの、それでも彼は現在に至るまでマット界に堂々君臨しつづけています。

一方、剛竜馬の場合・・・
昭和56年、北海道は最果ての地での試合を最後に国際プロレスは消滅してしまいました。所属団体を失った剛竜馬はフリーとしてマットを転々とするようになります。
そんな彼に転機が訪れました。
新日本プロレスのリングに上がるようになり、藤波のライバルとして注目されるようになったのです。
同時期、かの菅原文太・鶴田浩二両雄主演のドラマにレギュラー出演し、プロレス以外のフィールドでも注目されるようになります。
彼もまたスター選手の座を手に入れつつありました。
しかし、スター選手の座は彼の手からこぼれ落ちてしまいました。
アントンハイセルをめぐる新日本プロレスのお家騒動に巻き込まれ、新間氏が作った団体「UWF(ユニバーサルレスリング)」に前田、マッハ隼人らと共に行く事になったからです。
この「UWF」は表向きはシェルター的要素のある団体ということになっていますが、その実、厄介払いの為の団体だったのです。
余談ですが、同時期に長州力も新日本を脱退し、ジャパンプロレスを結成しましたが、彼には専修大時代の恩師・松浪健四郎氏の後押しやマサ斉藤というブレーン、アニマル浜口という強力サポーターがついていました。
この「UWF」は前田を筆頭に佐山聡、高田延彦、山崎一夫、藤原らが参戦し、プロレスとは違った格闘色が強い団体になっていきました。
こうして格闘色が強くなりだした頃に剛竜馬はUWFを脱退します。彼の脱退については、さまざまな憶測がたてられましたが、恐らく「プロレス」しか知らない彼にとって居場所がなくなったのが脱退の理由ではないでしょうか?
その後、彼は全日本プロレスのリングに立ちました。
全日本プロレスにはかつての国際プロレスの仲間がたくさんいました。

ラッシャー木村
寺西勇
マイティ井上
鶴見五郎
アポロ菅原・・・

しかし、彼は全日本プロレスから「お払い箱」になりました。
その中にはアポロ菅原や高杉の名も連ねてましたが、ラッシャー木村や寺西らの名はありませんでした。
これは私の勝手な憶測ですが、ラッシャー木村や寺西、鶴見、マイティらは既に全日本のカラーを身につけていたから「お払い箱」の対象外になったのではないかと思ってます。まさに朱にまじわれば赤くなるですね。
その後の彼はパイオニア戦志を結成し再び注目を浴びるようになりました。
そして再び新日本プロレスのリングに上がります。
本来なら元祖インディペンデンス団体の称号を得られるはずでしたが、FWMにもっていかれる羽目に遭い、パイオニア戦志は消滅してしまいます。
パイオニア戦志消滅後はオリエンタルプロレスを結成しますが、こちらも短命で終わりました。
しかし、そんな彼に再び転機が訪れました。
かのプロレスバラエティ番組「リングの魂」でブレイクしたのです。
しかし、「リングの魂」の放送が終了してしまったと同時に彼のブレイクも同時に終わりを告げました。
その後の彼は孤立無援同然となり根無し草のごとくあちこちのリングを彷徨ってました。彷徨った挙句にたどり着いたのは、

藤波のライバルと言われ、WWWFタイトルを獲った栄光
バラエティ番組でのブレイク

・・・に続く三度(みたび)のブレイクではなく転落の連続でした。

「ホモビデオ出演」というスキャンダルが発覚しました。
この件については後に彼自身が出演を認めています。
「身一つで稼いで何が悪い」と。
残念ですが、出演したビデオの特性上、理解を得ることは到底無理でしょう。
そしてもうひとつのスキャンダルは窃盗事件で逮捕されたこと。
一般の新聞やニュースでも取り上げられ、かつてのライバルである藤波からはこの事件を理由に絶縁されました。

そして今・・・

レスラーとしての需要が殆どなく、リングを転々と彷徨っていると聞いてます。

何が剛竜馬と藤波辰巳の明暗を分けたのでしょうか?
やはり「溜め」ではないでしょうか?
藤波には人脈や自分自身の知名度、そして後ろ盾といった「溜め」がありました。
長州力と同じく良き相談相手に恵まれていたのも彼の「溜め」と言えます。
これは作ろうと思って作れるものではありません。
「溜め」を作るに至るまでのプロセスが明暗を分けたのではないでしょうか?
「溜めをつくる」に至るプロセスはと言うと・・・?
それはやはり「努力の差」ではないでしょうか。
更に付け加えるなら「自己客観視」もそうです。
藤波は努力すれば評価される環境や、自己客観視できる環境に恵まれていたと言えます。
一方、剛竜馬。
決して彼の努力が足りないとか自己客観視ができていないわけではありませんが、環境に恵まれていたとも言いがたいです。
何より明暗を分けたのは、前出で述べたようにマット界に身を置いた動機にあるように思えてなりません。
猪木を敬愛し、同じリングに立つ日を夢見て日々鍛錬した藤波。憧れてやまない世界に身を置けたことが彼に心の余裕を持たせたのでしょうか、その余裕が良い環境を整える結果となりました。
生活の為の手段としてプロレスを選んだ剛竜馬。
湯浅氏ではありませんが、環境を整える余裕など彼にはなかったのではないでしょうか?やっぱりプロレスは人間社会の縮図なのかも知れません。

(注)もし間違いがありましたらご指摘願います。