フレネミーとはかかわるな


さて、みなさんは「フレネミー」という言葉をご存知でしょうか?

Friend(友)Enemy(敵)を合わせたいわゆる造語で、アメリカドラマ「セックスアンドシティ」がその語源だそうです。
意味は、読んで字の如く書いて字の如く。

つまり・・・

友達のフリをした敵。そのまんまの意味ですわ。
私、アキの解釈は「悪意ある友達」「打算ありきの友達関係」と言ったところでしょうか。
このフレネミー、どうやら女性に多いそうで、ライフステージが変化したり年齢を重ねる毎に本性をあらわにするそうです。

私生活や仕事での成功を妬んで足を引っ張ったり

略奪愛をしてみたり

寝取ってみたり

ステータスやライフスタイルにケチをつけてみたり

人前で過去の古傷をほじくりかえす発言などで相手を貶めてみたり

などなどその蛮行は大挙に遑がないとくる。
もうお気づきかと思いますが、フレネミーの正体はずばり「嫉妬の塊」なのです。
相手の幸せを共有する事ができず、自らも幸せになる努力なんてハナから放棄しているので、足を引っ張ることに躍起になっているわけです。
ぶっちゃけ自分と同じ土俵に無理やり引きずり込もうとしているわけですね。
ここまでくると怒りがこみ上げるというよりは何だか哀れですね。
更に言うと、フレネミーってなかなか見破りにくいと思います。
それというのも女性・・・特に若い女性は友人関係を大切にしたい傾向がありますので、多少癇に障ったとしても友達だからと信じてしまいがち。
友達だと思っていた相手が実はフレネミーだったと後から気づくのもよくあることではないでしょうか。
いやいや気づいただけでもラッキーってもんです。

実は、私、アキもフレネミーに煮え湯を飲まされた事があります。
あきれた事に当のフレネミーは未だに私を「友人のひとり」だと思っているそうですが・・・。「友人のひとり」と言うよりは頭数と言ったところでしょうか。

さて、このフレネミー・・・仮にTちゃんとしましょう。

Tちゃんとは高校時代に出会ってから10数年ほどの付き合いがありました。
Tちゃんは女優の高橋ひとみに似た一見おっとり風の長身美人。
しかし、友人として接しつつも私を見下す部分が多々見受けられ、そうかと思えば友人グループの中心にいた友人(当時)には妙に媚びを売ったりと相手の顔を見て臨機応変に態度を変えていたのです。
普段は見下した態度で私に接してますが、私の『とある状況』が自分にとってメリットになることを知るや否や態度を一変させ、気持ち悪いほど私に媚びるようになったのです。
そうした点からもわかるように打算で物事を考える部分が目立ちました。
その後も何かに付けて媚びたり見下したりと一貫性のない態度で接してきました。
高校を卒業後も彼女との関係は続きましたが、やはり相変わらず一貫性のない態度で振り回し続け、年齢を重ねる毎にフレネミーっぷりを発揮してきました。
ドタキャンや約束の反故なんて序の口。
約束当日になって「友達のお母さんが亡くなったから葬儀の手伝いをしなくちゃいけないの」などと見え透いた嘘を吐いて平気で約束を破ったこともありましたっけね。
当時の私は、友達関係を大切にしたいという気持ちが強かったため、見え透いた嘘でも信じてしまっていたのです。
人前で高校時代の蒸し返し話をしては私を貶めた思えば、私が運営しているwebサイトに訪問者や書き込みが多い事を知るや否や掲示板に白々しい友達アピール書き込みをしたり・・・。
いつだったか実母が亡くなったというので告別式に駆けつけたのですが、実母の告別式だというのに短大時代のお友達だか宝塚の追っかけ仲間だかの友人たちとはしゃいでましたっけね。

で、私の顔を見るなり「あ、いたの?気づかなかった~♪」

これだけ馬鹿にされていながら、やはり心のどこかで友人としての彼女を信じていたかったのです。
やがて月日が経ちTちゃんのとの関係も気がつけば10数年が経過していた頃、私のライフステージは大きく変化しました。
ライフステージの変化は同時に私の心境や価値観を大きく変えることとなり、そのひとつとして友人関係への執着はすっかりなくなってしまいました。
この頃からでしょうか・・・彼女は次第に本性をあらわにしました。それはそれはあからさまにね。
Tちゃんの本性に気づいたきっかけは、守る気のない約束を平気で口にするようになったこと。

「今度、一緒にランチに行こうよ♪」
「今度、一緒に飲みに行こうよ♪」
などとね。

私との約束を何度もドタキャンするような人の約束など到底信用できません。
そうかと思えばmixiに誘ったりと、以前にも増して一貫性のない態度で接してくるようになったのです。
決定打になったのはTちゃんが趣味で習っているフラメンコの舞台。

高校時代の友人たちを招待する一方で、私には「ついでだから一応誘っておくね」

この一言でようやく彼女から見下されている事に気づき、無言で彼女と決別することを決めたのです。
決別を意思表示したところで彼女には糠に釘、暖簾に腕押しというもので余計にけった糞悪いだけ。このような人には無言で立ち去るに限ります。
以来、私の中のフォルダから彼女は完全削除されました。彼女との10数年は全て乱数で上書きされたってことで、復元不可です。

決別を決めてから3年が経過した昨日、Tちゃんから携帯にメールが届きました。
そうです、うっかり着信拒否するのを忘れていたのです。
『スパムが多いからメルアドを変更しました。アドレスを変更よろしくお願いいたします』だと。
妙に他人行儀な文面ではありましたが、今頃になってこのようなメールをよこしてくるのには何らかの思惑があることは容易に想像がつくというもので、おおかた私の近況を知りたいといったところでしょう。
Tちゃんからのメールは即削除したのは言う間でもありません。
でもって削除から数日後に機種変どころかキャリアごと変更したっけなw

私、アキはこれだけ馬鹿にされていたにもかかわらず何故Tちゃんを長い間切り捨てる事ができなかったのでしょう。

今にして思えば友人を失いたくないと思うあまりTちゃんに譲歩し、結果的につけこまれていたのだと思います。
やがて年齢を重ねる毎に友人関係へのこだわりがどうでもよくなり、ウィンウィンは危険な発想であることに気づいた事でようやくTちゃんを切り捨てる事ができたのです。

そして、Tちゃん自身。今にして思えばいろいろと哀れな女性であることに気づきました。

ツイッターやフェイスブックで友達の多さをアピールをしながらフラメンコと宝塚の追っかけに勤しむ毎日。そして未だ独身。
一見、独身貴族を謳歌しているかのように見えますが、何故かTちゃんから魅力的なものを感じる事ができませんでした。
私にはTちゃんが趣味に逃げているように思えてならないのです。もっとも、そう感じているのは私だけなのかも知れませんが。
これは飽くまで私の想像の域ですが、彼女は年齢を重ねると共に少しずつこれまでの友人を失ってきていると思います。
何故って?
相手の顔を見てコロコロ態度を変える変わり身の早さは実に手馴れたものでしたから、恐らく他の人にもそんな態度だったのでしょう。
それに「オバチャン」と呼ばれても仕方がない年齢になってもなお、友達の数の多さを誇示しているのは何故でしょうね?
彼女には友人を失っている自覚など微塵もないでしょう。
打算でしか人と接することができない彼女を少し気の毒にも思います。

そうですね、最後の最後に感謝するとすれば・・・いい反面教師になってくれてありがとさんってとこですかね。

少なくとも私だけは人様を打算で接したり顔を見て態度を変えるような真似はしないように気をつけたいです。
やっぱ因果応報ってあるからね。

結論:対等な関係を築けない友達は友達ではないので切り捨てるべし。

参考リンク:

  • 親友は本物? 巷にはびこる“フレネミー”に気をつけろ!
    フレネミーとパーソナリティ障害