客観視できないことは害悪でしかない


ずばりタイトルのとおりです。
自分を客観視できないことほど迷惑かつ害悪なことはありません。
客観視できないから自分の立ち位置を知ろうとしない。だから身の程知らずな言動ができる。
客観視できないから自分がどう見られ捉えられているか知ろうとしない。だから勘違いな痛い人となる。
客観視できないから自分自身を見つめることができない。自分自身を見つめられないのだから相手の立場に立って物事を考えることができるわけがない。
だから人の意見を聞くことが出来ない。客観視できないから失敗を反省材料とし次に活かすことができない。だから同じ失敗を何度でも繰り返す。
結果、迷惑かつ害悪な存在でしかなくなるわけです。
何しろ客観視できませんから、自分が滑稽な存在であることや、本当は笑われていることに気づこうともしません。

そもそも何故客観視ができないのでしょう?

客観視できない人の深層心理・・・

それは本当の自分を知ることへの恐れだったり「本当の自分はこうではない」という理想と現実の乖離が自分自身から目をそむけさせているのでしょう。
そんな人が何かをきっかけに憧れの対象となる人物や媒体などに影響されるとこれが厄介。自分自身の姿と重ね合わせ、憧れの対象に近くなりたいあまり真似たり分不相応な言動をとることで憧れの対象と同化し、自分は輝いていると勘違いします。いわばトリップした状態ですね。
トリップしている状態は恐ろしいほど自分自身が見えません。
そうやって身の程知らずな言動をとればとるほど憧れの対象のように輝ける存在になるどころか陰で嘲笑される結果となるのですが、当の本人は嘲笑されていることなど知る由もありません。
そんな人に「あなたは輝いているつもりかもしれないけど、本当は笑われているのだよ」と警告しようものならさぞかし怒り狂うことでしょう。
よくも輝いている私の足をひっぱってくれたなと。
そうなるともはや手に負えませんので目が冷めるまで静観するしかないでしょう。
客観視できない人は憧れの対象を真似たり、分不相応な振る舞いをとることで手軽に理想と現実のギャップを埋めようとし、本当の自分から顔をそむけているわけです。
しかし、本当はうすうす自分の立ち位置には気づいているものの、認めたくないんですよね。
うん、わかるよ。
だって、かつて私もそうだったから。

自分には何ができるのか?
自分の持ち味は何か?
自分が求められていることは何か?
自分に似合うことは何か?

それがわかれば自ずと客観視できるようになるのでは?